調査業界小史
第三回 昭和時代以降
昭和初期からはこの業界は長い長い冬の時代に入ります。
関東大震災の後遺症、大不況、軍の締めつけ、戦争等々、
良い材料は全くありません。
この厳しさは昭和25年頃まで続き、弱小業者は殆ど消えていったのです。
ところが、その後日米安保条約を巡っての学生運動、
労働運動等が全国を揺るがし始めると、
業界にはその勢情混乱が逆に大きな追い風となって、
目を見張るほど好況に恵まれ始めました。
なぜなら、殆どの大企業・中企業が人の採用時に
自社防衛と安全を目指すためこぞって
身許調査を調査会社に依頼したからです。
つまり、企業は社会運動を行っている者、あるいは行っていた者、
思想的に左右に偏向している者、これらに入社の門戸を閉ざすことで、
自社を守ろうと必死になったのです。
人事調査の大手「T秘密探偵社」等はこの時期、
年間2万名以上の身許調査をこなし、日本橋から千駄ケ谷に会社を移転し、
自社ビルを建てたりしています。
更に30年代に入ると、大手調査会社はいわゆる「紳士録」の出版を始め、
これが大ヒットとなりました。
従来、この紳士録は「第一勧銀」「交詢社」等ごく一部の寡占刊行物でしたが、
「T興信所」「G興信所」「T秘密探偵社」等は豊富な人的攻勢セールスで
この分野で驚異的に業績を伸長させました。
その分、この当時、悪徳紳士録業者も多く出回りました。
つまり、本の中身は大手のものをそのままコピーし、
表紙だけを変えて掲載されている人々に強圧的に売り込み、
中には街の商店主にまで”名誉ある紳士録にあなたを載せる”と、
掲載と購入を共有する、という商法です。
残念ながら、この詐偽まがいのやり方の悪徳業者は
今もほんの2~3社あると聞き及んでいます。注意してください。
昭和30年代半ばになると、
今度は「オリンピック」「新幹線」「高速道路」等々を中心に
日本は好況期に入って行きます。
当然、調査業界にもこれが大きいプラスとなり、
前出の大手「T秘密探偵社」は更にビル1棟を新築、
37年頃の最盛期には全国に社員約1,500名を数えるに至りました。
しかし、古今東西、何でも浮き沈みや改革はつきもので、
30年代末期になると、”よし私も”と、
零細調査業者が爆発的に群生する時代になりました。
その大きな起爆材の一つに例の「T秘密探偵社」の社内労働争議があります。
(昭和38年末~39年末)
この時期、同社を辞めて独立した者は50~60名に及ぶといわれ、
現在更にそこから分社独立などがあり、
業界の大きな人脈となっています。
その後昭和40年代に入ってからの業界は、
大まかにいって二つの特色があります。
「Tデーターバンク」「T商工リサーチ」等が人事調査から撤退し、
商取引専門調査機関になったことにより、
業界は経済調査と人事調査とほぼ専門化したこと。
大阪を中心に「大衆調査」と呼ばれる新しい調査会社が生れ、急伸したこと。
「大衆調査」とは特定の得意先を持たず、広告費を投入し、
一般大衆から調査の依頼を受けるものです。
従って、その調査は結婚・素行・所在・証拠蒐集などが中心となります。
この業態の調査会社は全国に1000社以上(支店を含む)あるとされ、
今では業界の一方のリーダーとすらいわれています。