調査業界小史
第二回 明治・大正時代
明治維新により、日本は画期的な進化と変貌が始まり、
その文明化のスピードは明治の1年間は江戸時代の50年間に匹敵する、
と言われます。
日本は世界屈指の文明国家・軍事国家へと突き進みます。
その結果、東京を中心に急激に人口が膨れ上り、
全国的に各種産業がどんどん発展していきました。
そして、それに伴って必然的に商取引、人材確保、犯罪等々も
大きくなっていったのです。 従って、その分トラブルやミスが続発し、諸々に起きるこの困乱は
発展途上の日本の大きなネックとなりました。
このことに心を傷めて起ち上がったのが「渋沢財閥」の長であり、
財閥界に強大な力を持っていた渋沢栄一です。 彼は「物も人もキチンとした裏付が必要」と声を上げ、
明治20年代に官製の調査機関を立ち上げました。
世にいわれる”渋沢機関”です。
その中身は現在の世界的調査機関の
「ダン」や「ギャラップ」を範としていたと言われます。 その後やっと明治30年代末頃から40年初め頃になって、
官製調査機関だけでは情報・調査が不充分との認識から、
官製からの分在、民間大企業の支援等々により、
ぼつぼつと民間調査会社が誕生していきました。 それらの中に現在の「Tデータバンク」や「T商工リサーチ」があり、
また人事専門の「G興信所」や「T興信所」があり、
特に「G興信所」は宮内庁御用達であったといわれる名門でした
(現在この「G興信所」「T興信所」共になくなっています)。
この明治時代には調査会社は10社~12社とされています。 ※大正時代 大正初期に東京・日本橋小網町に「T秘密探偵社」ができました。
”探偵”という文字を社名に使ったのは
恐らく同社が日本で初めてではないでしょうか。 この時代になると官製系の調査機関は消滅して
軍国情報機関として潜航するようになり、
逆に民間の調査会社が少しずつ増えていきました。 その中の一つに著名な「Sみどり事務所」があります。
彼女は学習院OBの華族界はもとより、
政界、財界等の一流どころを顧客とし、
個人調査の権威として名を馳せ、
渋谷の超高級住宅街に豪邸を構えていました。
しかし、それでも大正末頃までの調査業者は
30社前後にすぎなかったのです。